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神戸地方裁判所洲本支部 昭和30年(ワ)2号 判決

原告 谷本優 外一名

被告 淡路交通株式会社

主文

被告は原告谷本優に対し金四萬円、同喜久枝に対し金三萬円及び右各金額に対する昭和三十年一月二十五日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払わねばならない。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その一を被告のその余を原告等の負担とする。

この判決は原告谷本優において金一萬三千円の、同喜久枝において金一萬円の各担保を供するときは原告等勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

原告等の二女谷本富美恵(当時一年二月余)が昭和二十九年六月一日午前七時四十分頃洲本市小路谷字平場十一番地の一の原告等方西側道路上で榎本勝操縦の被告会社洲本行バスに轢かれ、よつて死亡したことは当事者に争がない。

一、そこでまず本件事故の具体的経過情況について判断する。

1  成立に争のない甲第一号証、証人谷本まさの(第一、二回)、谷本幸作、榎本勝(第一、二回)、家田広(第一回)、柴田政男(第二回)、木場重夫の各証言、原告喜久枝本人尋問の結果(第一乃至第三回)及び検証の結果(第一回)を綜合すると、原告等方は居宅北側店舖が被告会社バス由良洲本線の菰江停留所となりバス切符煙草菓子等を販売してをり、附近には人家少く現場道路は幅員約六米直線コースで前後の見透しよく北方え緩昇する非舖装道路であるが、前記日時榎本操縦のバス(車掌家田広)が原告等方西側路上に停車(バス右側面と道路東端の距離二米半位)した時、富美恵は店舖北側の表土間と道路との境にある溝蓋(第一回検証調書添附現場見取図第2のロ点に当る。以下同じ)の南内よりで道路の方を向いてしやがみ、そのかたわらに姉和美(当時二年六月)が佇立し、母喜久枝は右表土間中央部の接客用長机腰掛(道路から約三米)を拭掃除し、始の一、二人が乗車するのを見たがそのまま反対方向を向いて雑巾掛を続け、祖母まさのは丁度井戸から水を汲んで表土間え入つてきたところであつたが以上の様子をみて別条もないと思いそのまま店舖東側の内土間え入つたこと。富美恵の父優、祖父幸作はそれぞれ附近え仕事に出ていたこと、バスは学生児童等十二、三人を乗せすぐに発車したこと。その時喜久枝は一旦内土間え入ろうとしたが、店舖北西の柱(ハ点)の竹筒にさしてあるバス停車を標示する旗を下さねばならぬことを思い出し同柱の所まで来た時、道路南方からきた通行人が叫声をあげたのに驚き振返つて始めて富美恵が頭を西にして殆ど道路と直角の方向に俯伏に倒れているのを発見したこと。富美恵はバス右側後車輪に頭の生え際辺りから上を轢かれ脳挫滅により即死していたことが認められる。証人柴田政男(第一回)の証言中富美恵は溝蓋から二尺位内側に居た旨の供述部分は伝聞であつて前掲各証拠に照らして採用し難いし他に前認定を覆えすに足る証拠はない。

2  よつて進んで本件事故前のバスの停車位置、富美恵の轢死位置を検討する。

右停車位置について証人谷本まさの(第二回)、谷本幸作、原告喜久枝(第一、第三回)はそれぞれ前記見取図記載のA点である旨供述し、更に証人谷本まさの(第一回)は「普段より少し行き過ぎて停車したと思つた」旨、又原告喜久枝は「私の居た所から乗り降りする客の足が車体の下から見えていた」(第一回)、「普段よりやや前に停つたように思う」「子供の遊んでいた所から運転手席まで四米位あつたと思う」(第三回)旨を、証人宮島さわゑ(同証言により同証人は事故バスの乗客で最後部右端に着席していたこと及び被告会社由良洲本線バスの常客であつたことが認められる)は「たばこの看板(ハ点)より少し前方に運転台が行つていたので普段より少し行き過ぎて停つたと思つた」旨を各供述する。これに反し事故バス運転手である証人榎本勝(第一回)は同見取図記載のV点に停車した旨を供述する。そして検証の結果(第一回)によれば前記喜久枝の拭掃除していた長机のところからは丁度A点に停車したバスの前輪の辺りが見通されるほか宮島証人の供述する停車位置は大体原告喜久枝等の供述するA点に一致し、又榎本証人の供述するV点はA点より約四米北にあたる(第二回検証の結果及び証人柴田政男の第二回供述によれば事故バスの前後両輪間の距離は四、〇五米である)ことが認め得る。更に成立に争のない乙第一号証(本件事故直後に榎本勝立会の下に司法警察員木場重夫が作成した実況見分調書同添付見取図)及び証人木場重夫の証言によれば―右見取図は甚だ簡略であつてその正確な位置を補促するのに苦しむのであるが検証の結果(第一回)と対比して―同警察員認定の停車位置に前記A点とV点の中間乃至それよりややA点よりと推定される。

ところで右停車位置の検討は暫く措き富美恵の轢死位置について考えるのに、原告喜久枝(第一、第三回)は前掲検証調書添附見取図ホ点である旨供述し、検証の結果(第一回)によればホ点は前記A点に位置したバス後輪から約八米北である。又証人宮島さわゑは「菰江停留所で乗つた学生が後部座席に坐るべく進んできかけて突然頓狂な声をあげたので振向くと子供が母親らしい人に抱かれていた」旨を、証人榎本勝は、「発車後ギヤーの入れ換えをしないうちに衝動があつた」(第一回)「発車後車が一回か一回半廻転したと思われる時右後車輪にシヨツクを感じすぐ停車した」(第二回)旨を、証人柴田政男(第一回)は「榎本の話では発車後四、五米進んだ所で衝動がありすぐ停車したが更に四米位スリツプしたとのことであつた」旨を各供述し、成立に争のない乙第二号証(榎本勝の検察官に対する供述調書)には、発車後三尺程進んだ時に衝動を感じた旨の、又前出乙第一号証には榎本の説明として、発車後二米程移動した時右側後輪にシヨツクを感じた旨の各記載があり、更に同号証添附図面によると当初の停車位置から約一米進行して轢いた如く記載されている。そして第二回検証調書添附の説明書によれば事故バスの車輪の円周は二、七六米である。そうすると右轢死位置は前出原告喜久枝、証人榎本勝(一回転半として)、柴田政男の各供述では大体ホ点に一致する。ところで右にみたように進行距離に関する榎本の供述には可成り変動があり、原告喜久枝もホ点について首肯するに足る証拠も示さず又当時は不測の事故で動顛していたであろうことは容易に推察できるから、必ずしも右ホ点について信を措き難いところ、前出乙第一号証には「出血跡その他肉片等の散乱により現場を明瞭に立証していた」との記載あり、これに証人木場重夫の証言並びに前認定の富美恵の死亡状態を考えると右轢死位置には当時相当な痕跡があつたことは明白であるから、同位置は事故直後の現場見分において司法警察員により認定された乙第一号証添附見取図に記載された場所(仮にX点とする)が前掲各証拠中最も信頼に価し、かく認定するのが正しいと考える。そして右見取図は前叙のように極めて簡略であるが検証の結果(第一回)と比照考察すると、X点はハ点から三、四米の距離即ち前記ホ点から四米位南即ちA点に停車した車の前面の辺りにあたるものと認め得る。

そして事故前のバスの停車位置は前出各証拠を比照考察し更に検証の結果(第一、二回)証人柴田政男の証言(第二、三回)により認められる本件事故バスの構造並に前段認定事実をも斟酌して、X点から四米位の所に後車輪がくる位置、即ちA点から一米位北、V点から三米位南(従つてX点は同位置に停車したバスの前輪附近)と認定する。

以上の次第で右認定に反する前出各証拠はいずれも採用できず他に前認定を覆えすに足る証拠はない。

3  そこでいよいよ富美恵がX点で轢かれる迄の経過を考える。榎本勝(第一回)長谷川秀一の各証言、第一、二回検証の結果並に鑑定の結果を綜合して認められる事故当日は晴天であり、事故バスのバツクミラーは五十度の角度に装置され後方五十米迄見通せること、車体側面下部は後輪前面フエンダーから二米乃至二米半位迄しか映らないこと。前認定の停車位置では前記溝蓋(ロ点)及びX点、乃至ロ点とX点を結ぶ約三米の線はいずれもミラーの視野外にあり、特にX点は漠然と運転手席横の窓から遠望した程度では見落す可能性が大きいこと。車体に接触していた幼児が発進の動揺で顛倒し後車輪で轢かれる可能性は極めて少いこと等の事実、証人谷本まさの(第一、二回)、谷本幸作の各証言及び原告谷本優、喜久枝(第二、三回)各本人尋問の結果を綜合して認められる富美恵は健康優良児として表彰された程で発育よく、事故の四十日位前から歩きだしたが事故の頃にはゆつくり且つ時々倒れながらではあるが百米位歩いていたこと、事故当日毛糸のセーターにズボン、スポンジ様の軟い高さ二、三寸の短靴を着用していた(証人谷本まさのはその第一回証言で長靴をはいていた旨供述するが、同証人の第二回証言にてらし右長靴とは前認定の短靴の意と解され、又証人柴田政男はその第一回証言で膝迄ある長靴をはいていたと聞いた旨証言するが、伝聞であるし前掲各証拠にてらし採用できない)等の諸事実に、証人榎本勝(第一、二回)の「菰江停車中同停留所での乗客が学生児童であるため左側乗降口の方を特に注意し、その反面バツクミラーもみていたが路上に人影はみえなかつた。ところで最後の子供が乗らずに後方に手招きするので自分も右の窓を開いてその方をみると、五十米余り後方に北方へ来る子供連れの婦人が居たが別に乗る様子もないので、先程の子に確めるとその子は黙つて乗車し車掌も発車合図をしたので、自分は更に乗車完了を確認バツクミラーを見たが依然人影障害物が映らないのでそのまま前方を注視しつつ発進した。発進の際はブレーキを踏んでいるので逆行するようなことはない」旨の供述、証人宮島さわゑの「発車してから原告方土間から子供が走り出たことは判らなかつた」旨の供述並に富美恵の轢死位置死体の状況、発進後四米位進んだ後車輪に轢かれたことその他既に認定した諸事実を考えあわせると、右榎本の供述を覆えし本件バスが発車の際逆行したと認めうるような証拠もなく、又バスの構造状況等からして富美恵が車体に引きづられた形跡も認められず、他にこのような事実を認めるに足る証拠もない(前出乙第一号証、証人木場重夫、原告喜久枝(第三回)の供述により認められる血痕その他が点在していたことのみではいまだこの事実を認めるに足らない)本件においては、富美恵が停車中のバスに接近接触し発車の際の動揺でX点に顛倒又はX点以南で顛倒しX点迄引きづられて後車輪で轢かれたと考えるのは困難であり、そうすると結局発車寸前に前叙バツクミラーの視野外であるロ点から同様ミラー及び運転手席からの視野外であるX点に歩み来り、たまたま同点を通過するバスの前後輪の間に顛倒頭部を轢かれたものと考えるほかはなく、他にこれを覆えすに足る証拠は認められない。

二、事故の経過は以上のとおりである。そこで次に本件事故につきバス運転手榎本勝に過失があつたか否かを判断する。

証人榎本勝(第一、二回)の証言によれば、同人は被告会社洲本由良線バスを度々運転、本件事故現場を通行して土地事情特に原告等方に富美恵姉妹が居ることを熟知しており、それ迄も同女等が遊んでいるところえ行きあわせ家人が家の中へ連れて入ることがよくあつたことが認められ、右事実並びに既に認定した諸事実に検証の結果(第一回)及び原告喜久枝(第二、三回)の供述を綜合して認められる前認定の停車位置におけるバスの運転手席からロ点迄は斜右後方ではあるが見透し可能であり、又本件現場附近は交通量も比較的少いこと等を考えあわせると、その年令等からしていまだ危険を弁別避譲する能力のない幼児であることが明らかな富美恵等はいつなんどき車体に接近してくるか分らず、バツクミラーの死角をなしている車体前方下部に歩みよる可能性も多分にあるのであるから、本件のような場合運転手としては常にこの点に留意しその危険のないことを確認して発進すべきところ、証人榎本勝(第一回)の証言によれば、同運転手は道路から右側にはあまり注意せず、一旦窓から後方を望見したもののそれは乗車客の有無を確かめるためで富美恵等姉妹の存否に細心の注意を払わずために富美恵の存在は気附かずバツクミラーに人影障害物が映らなかつたのでそのまま前方のみを注視して発車したことが明白である。前掲榎本の供述より認められる如く同運転手が学童等の乗車に注意をそそいでいたことはこれを諒とすべきであるが、だからといつて前記注意を怠ることも許されないのであつて、もし同人が停車中バツクミラーのみに頼らず自ら窓から原告方入口附近を眺める等して富美恵姉妹の存否に注意を払つていたならば容易にその存在に気附いたであろうし、発車の際も自ら又は車掌をしてミラー死角内の危険の有無を確めさせる等し前方のみならずバツクミラーをも注視しつつ進行していたならば本件事故を避けることもできただろうと考えられる。以上の点において運転手榎本勝にやはり注意を欠く点があつたとせねばならない。

三、そうすると本件事故バスが被告会社の経営にかかり、榎本勝が同会社の被傭者としてその事業を執行していたことは当事者間に争ないから、被告は右榎本の不法行為により原告等に生じた損害を賠償する義務がある。

四、そこで右損害の額について検討する。

証人谷本まさの(第一、二回)、谷本幸作の各証言、原告優、喜久枝(第二、三回)各本人尋問の結果を綜合すると、原告等親子四人は優の父母幸作まさのと同居し世帯を共にしていたが、富美恵の事故死のため洲本病院に三千円を支払つたほか葬式費用に二万九千四百円を要したこと。原告優、その父幸作は共に大工をして各月一万五千円位を収得し、前記店舖による収入と合せて原告等一家は月平均三万四、五千円の収入があり、まさのが管理世帯を切り廻している関係で前叙諸費用も現実にはまさのが支出したことが認められる。即ち右病院葬式費用は榎本の不法行為によつて支出を余議なくされたものであり、富美恵死亡に基く通常の出捐とみられるところ、他に特段の事情の認められない本件において右出捐は結局富美恵の父であり親権者である原告優の出費として同人の負担に帰するものであり、まさのは同原告に代つて支出したものとみるべきであるから同原告に賠償請求権があると考えるのが相当である。

更に富美恵が健康優良児として特に原告等に掌愛されその惨死により原告等夫婦が多大の精神的打撃をうけたことは原告等の供述をまつまでもなく容易に推認できるところである。しかしながら既に認定したところによれば、富美恵は歩行能力も可成りあり単身路上に立ち出ることも再三であり、現場道路は比較的交通量少いとはいえ被告会社バスだけでも一日四十回位往復していることが証人谷本まさの(第一回)の証言により明らかであるから、保護者である原告等は自ら又は適当な附添人をして富美恵等の挙動に充分注意し単身路上に出ることがないよう監督して事故発生を未然に防止するとともに交通機関の円滑な運行に支障を与えない様協力すべき義務があり、特に本件事故に当つては現にバスが間近に停車し富美惠姉妹は道路境でバスを見ていたのであるから更に一段の注意を加えなければならないのにこのことなく本件事故に立ち至つたことが明らかであるから、原告等は到底その監督義務を尽したものということはできずこの点原告等の側にも重大な過失があつたものといわねばならない。

以上榎本の過失の程度、原告の生活状態、富美恵の年令その他諸般の事情を考慮し原告等の過失を相殺して被告の原告優に支払うべき葬式費用等の賠償額は金一万円、原告等に対する慰藉料の額は各金三万円を以て相当と認める。

よつて被告は原告優に対し金四万円を、原告喜久枝に対し金三万円を及びそれぞれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明白な昭和三十年一月二十五日以降支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。以上の次第であるから原告等の本訴請求は右の限度を以つて正当として認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 黒川正昭)

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